いつまでも落ち込んでいてはいられないので。
先日、母方の祖母が他界しました。90歳でした。
上の写真は、娘のお宮参りの前に祖母宅に立ち寄った際に撮影したもの。当時はD5000で標準レンズ、一眼レフの使い方もわからないまま構えていたのですが、そんな手元がおぼつかない私に微笑みながら娘を抱いてくれていました。
つい3年程前までは坂の頂上にある一人暮らしの自宅から、数キロ離れたスーパーまで歩いて通う程元気だった祖母でしたが、転んで腰を悪くしてしまってからはみるみる体が衰え始め、1年半ほど前に入院するころには私の事もわからなくなってしまっていました。
最期を看取るつもりでいたのですが、連絡をもらってすぐに飛び出しても数分の差で間に合いませんでした。
こういったことは親戚の中で初めてではないのですが、私をずっと生まれてから社会人になって結婚するまで支え続けてくれた家族のうちの一人だったので、泣かないと決めていたのですがやはり込み上げてきてしまいました。
祖母は子供の頃から母親以上に躾けに厳しく、そして優しい存在でした。
私が親戚の中には一人もいなかったIT系の分野に進んだ時も、周囲に自慢してくれていたのがすごく恥ずかしくて、むず痒かったのを覚えています。
そう言えば、学生の当時まだかなり高価なものだったノートパソコンを買ってくれたのも祖母でした。この時にパソコンというものに生まれて初めて触ったことになります。
確か当時のスペックは、Windows 95、CPUがPentium 133MHz、メモリ32MB、HDD2GB、という今では考えられないくらい低スペックの「メビウスノート MN-330-X13」という機種でしたが、購入時に追加メモリまで買ってもらい、64MBにした記憶があります。
そう言えば、CD-Rすらもまだ発売されていない時代でした。フロッピーディスク全盛期の時です。
ノートパソコン自体も個人で持っていることが珍しかったあの時代に私がパソコンを使い始めていなかったら、私の今のこの技術は持ち得ていなかったであろうことは確かです。
本当に祖母には感謝しています。
今や仕事も生活もプライベートの趣味でさえも、パソコンでこなせるようになりました。
5年前に元気に一緒に外食に行ったり、当時まだ首が座ったばかりの娘を抱いてくれたことを写真を見ながら思い出し、その写真を見ているパソコンを触っていること自体も祖母のおかげであることを噛み締めながら遺影を選び、粛々と送り出しました。
今まで長い間、本当にお疲れ様でした。
さすがに堪えたので、2週間が経った今でも時間が空いたら思い出してしまい、気持ちが落ち込んでしまいますが、
いつまでも気持ちを落ち込ませていたら、祖母に叱咤されそうなので、ブログの更新を再開したいと思います。